百姓の世界~映画「百姓の百の声」から考える~
すごい映画ができたものです。
柴田昌平監督最新作「百姓の百の声」のこと。
ブログの更新回数が振るわなかった今年ですが、一年の締めくくりとしてこの映画について書き残しておきたいと思いました。
まず最初にお願い。
この映画、現在進行形で全国のミニシアター系映画館を中心に公開されています。
ぜひお近くで上映のおりにはご覧いただきたいと思います。
さて、どうして皆さんに観てほしいか。
それはこの映画がかつてのどの作品よりも農家の実像と内面を映し出しているからです。
農家が激減し、農家のこと、農業のことがわかりづらくなった昨今。
彼らが何を考え、何に挑んでいるのかということを、見事に映像化しています。
またカテゴリーとしてはドキュメンタリー映画ですが、鋭く社会問題を突きつけるだけの作品ではなく、農家の本当の姿を追うことで、何かを感じてほしいという監督の思いが現れています。
観た後の感想は様々ですが、共通しているなと感じたのは、「清々しい」「もう一度観たい」「誰れかに見せたい」。
不思議な映画です。心の中にスーッと入ってきて、眠っていた感覚を起こしてくれるような。
一つの社会問題を真ん中に据えず、農家という群像を追うことで立ち現れる世界が、たくさんの気づきと希望を与えてくれる、そんな作品です。そしてきっと、農家への見方が変わるはずです。
だから、ぜひ多くの人に観てほしいと願っています。
映画には数人の農家が出てきます。
どの人も魅力的で個性的で、ある意味代表的農家たちです。
その中の一人について紹介したいと思います。
細川勇喜さん。
福島県南相馬市の農家だった。2011年3月11日までは……。
今は避難先の山梨県で農家を続けています。
彼との出会いは、前職で農業雑誌「現代農業」の編集に携わっていた時。山の資源の特集で彼の山菜とりに密着したことがきっかけで、その後イラストレーターの堀口よう子さんと一緒に細川さんの山も恵みを楽しむ連載を1年続けました。
また僕が農家になりたいと移住した後も連絡をくれて、一度山梨で再会もしています。
そんな彼と、この映画の中でまた再会するとは。
細川さんは避難先でも百姓を続けています。そして震災前もそうだったように、新しい栽培方法や新しい品種を生み出しています。そんな彼があることがきっかけで偶然発見した「夏でも新芽をつけるタラの木」。それを全国の農家に配るために根株を掘り上げるシーンがあります。企業なら特許で独り占めするところだが百姓はそうしません。この映画のテーマでもある「いいものは共有する」という百姓のコモン性。競争、奪い合い、独占といった新自由主義的発想とは真逆の世界です。
いっぽう強制退去させられたふるさとに一時帰宅するシーンでは、決して原発への恨み節は言わないのです。柴田監督もそこを掘り下げなかったのかもしれません。映画には出てこなくても、ふるさとを追われ、人生を狂わせた原発事故を恨んでいないはずはありません。
この編集に物足りなさを感じる観客がいるかもしれませんが、僕はすごく納得しました。
「原発」や「改憲」をテーマに論じるとき、どうしても分断が生じます。
個別の問題をテーブルの真ん中に置いて議論する時、その分断の溝は深まるばかりで解決に向かわないことを私たちは気が付いています。
百姓は、それらの問題を心に置きつつも、決して何かを直接批判することなく、日々の暮らし、目の前の作物や自然への観察を続け、工夫と挑戦を繰り返します。そしてタネも、技術も、よいものは共有し、またそこから明日を生み出していきます。
世の中を変えるきっかけは、時に怒りの声を上げることかもしれませんが、本当に良い方向に変えていく力というものは、百姓の営みの中にあるのではないか、そんな風に感じました。
報道や外部からの視点で語られる百姓像ではなく、百姓の本当の姿を知るということは、私たちが忘れかけている、私たち自身のうちにある「力」を思い出すことにつながるのだと確信しています。
この映画をぜひ観てください。そして、ぜひ何を感じたのか、話をしましょう。
僕とでも、隣の人とでも。
ぜひ。ぜひ。共有しましょう。
新しい年がよい方向に変わっていくために。
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地域で守る人間の安全保障 ~ウクライナ情勢に感じていること~
2022年2月24日。
ロシア軍がウクライナ侵攻開始。
まさかと思ったことが現実のものとなり、そして3か月弱が経ったものの、収束の気配はまったくない。
これまでこの戦争で亡くなった方のこと、今なお戦火で苦しむ市民のことを思うと、心がつぶれそうになる。
今回のウクライナ侵攻で気が付いたことがあるので書き残しておきたい。
これまで核兵器は抑止力のためだと、保有国は主張してきた。
ところがである。ロシアの大統領は核を後ろ盾に強気の侵攻を決行したように見える。
つまり核兵器は抑止力ではなく「核兵器を持てば戦争ができる」ということが実証されたわけだ。
お人よしの僕は、このことにすごくショックを受けた。
ここからは議論の分かれ目になるだろうが、僕の意見は、だからこそ核兵器はノーである。
大国ですらこの有り様である。かつての戦勝国だろうが枢軸国だろうが、核を保有する限り「戦争を始める」リスクはまったく同じである。
日本は被爆国でありながら、核の傘に守られているため核兵器禁止条約には批准できないというジレンマを抱える。
しかしこの考え方は「核兵器は抑止力」論にだけ基づいている。
「核兵器が戦争をしかける力」になるとすれば、日本は知らず知らずのうちに戦争に巻き込まれ、また戦場で人を殺すことになるということも考えておかなければならない。今回のウクライナ侵攻の口実に集団的自衛権が使われたと専門家は指摘する。
「ウクライナに西側から次々と武器が投与され、ロシア軍を苦しめている」という報道がどこまで正しいのかもはやわからない。
ただ西が官軍、東が賊軍という構図にはもううんざりだ。
核兵器に限らず、殺傷能力のある一切の武器をこの世から抹消したいと願うばかりだ。
仮に戦争が終わったとしても、そこに武器が残る。武器がまた人を悪魔に変え、殺戮と憎悪の連鎖を招くだけだからだ。
ロシア軍人の戦争犯罪が指摘されているが、もし僕が同じ立場だったらどうだろうかと考える。
民と民が殺し合う。そこに正当と犯罪の線引きなどどうしてできようか。
戦争に駆り出されてラリッた軍人を「お前は悪い」と断ずることが僕にできようか。
許されるのだろうか。
ロシア大統領は悪い。
隣国のあいつとあいつも悪い。
悪い奴がいなくなれば平和になる。
そんなはずないことは、みんなうすうすわかっている。
悪いとすれば戦争だ。武器だ。核兵器だ。
そして暴力だ。
市民を背後から銃撃する暴力。
インターネットで誰かを攻撃する暴力。
いつも自分に言い聞かせていることがある。
戦争は僕が引き起こしているということだ。
僕の暮らしが、僕の行動が、小さな波となり、それが集まって大きな歪となり、勃発するのが戦争だ。
行き過ぎたグローバル経済。広がる格差。広がる貧困。深刻な食料不足。エネルギー問題。
グローバルイシューのどれをとっても、僕に起因し、戦争を引き起こしている。
募金も大事だけれど、常に問われているのは自分の暮らしの在り方だ。
昨日の新潟日報で、元京大学長の山極寿一さんが書かれた文章の中に希望の光を見つけた。
故・緒方貞子さんの言葉を引用してこう記されていた。
「もはや国の安全保障に頼るべき時代ではない。数々の戦争は国家元首が国の安全と政治経済的利益を確保するために決断する。犠牲になるのは民間人である。これからは国ではなく、人間の安全保障を目標にしなければならない」
国連難民高等弁務官だった当時の彼女の考え方であるが、今こそその目標に光を強く感じずにいられない。
人間の安全保障とは何か。
国民の感情とは別に鼻息荒く改憲を進めたがる権力者たちがいる。
憲法についてもっと知り、もっと考える契機になればいいと思うし、その際はぜひ人間の安全保障ということも併せて考えたい。
山極さんは「人間の倫理は地域で守ることから始める」とまとめている。
人間が安全に暮らすということはそもそもどういうことだろうか。
国がすべきことは何か、深く考え、厳しく問い続けることはもとより、戦争を起こさない社会をつくっていくためには足元の暮らしをどうするか、そこを見落とさないようにしたいものである。
軍備でも護憲でもない。
根本はそこにある。
最後に切なる願いを。
僕の心などつぶれてもいい。どうか一刻も早くウクライナの戦争が終わり、市民の命が守られることを。
ロシア軍がウクライナ侵攻開始。
まさかと思ったことが現実のものとなり、そして3か月弱が経ったものの、収束の気配はまったくない。
これまでこの戦争で亡くなった方のこと、今なお戦火で苦しむ市民のことを思うと、心がつぶれそうになる。
今回のウクライナ侵攻で気が付いたことがあるので書き残しておきたい。
これまで核兵器は抑止力のためだと、保有国は主張してきた。
ところがである。ロシアの大統領は核を後ろ盾に強気の侵攻を決行したように見える。
つまり核兵器は抑止力ではなく「核兵器を持てば戦争ができる」ということが実証されたわけだ。
お人よしの僕は、このことにすごくショックを受けた。
ここからは議論の分かれ目になるだろうが、僕の意見は、だからこそ核兵器はノーである。
大国ですらこの有り様である。かつての戦勝国だろうが枢軸国だろうが、核を保有する限り「戦争を始める」リスクはまったく同じである。
日本は被爆国でありながら、核の傘に守られているため核兵器禁止条約には批准できないというジレンマを抱える。
しかしこの考え方は「核兵器は抑止力」論にだけ基づいている。
「核兵器が戦争をしかける力」になるとすれば、日本は知らず知らずのうちに戦争に巻き込まれ、また戦場で人を殺すことになるということも考えておかなければならない。今回のウクライナ侵攻の口実に集団的自衛権が使われたと専門家は指摘する。
「ウクライナに西側から次々と武器が投与され、ロシア軍を苦しめている」という報道がどこまで正しいのかもはやわからない。
ただ西が官軍、東が賊軍という構図にはもううんざりだ。
核兵器に限らず、殺傷能力のある一切の武器をこの世から抹消したいと願うばかりだ。
仮に戦争が終わったとしても、そこに武器が残る。武器がまた人を悪魔に変え、殺戮と憎悪の連鎖を招くだけだからだ。
ロシア軍人の戦争犯罪が指摘されているが、もし僕が同じ立場だったらどうだろうかと考える。
民と民が殺し合う。そこに正当と犯罪の線引きなどどうしてできようか。
戦争に駆り出されてラリッた軍人を「お前は悪い」と断ずることが僕にできようか。
許されるのだろうか。
ロシア大統領は悪い。
隣国のあいつとあいつも悪い。
悪い奴がいなくなれば平和になる。
そんなはずないことは、みんなうすうすわかっている。
悪いとすれば戦争だ。武器だ。核兵器だ。
そして暴力だ。
市民を背後から銃撃する暴力。
インターネットで誰かを攻撃する暴力。
いつも自分に言い聞かせていることがある。
戦争は僕が引き起こしているということだ。
僕の暮らしが、僕の行動が、小さな波となり、それが集まって大きな歪となり、勃発するのが戦争だ。
行き過ぎたグローバル経済。広がる格差。広がる貧困。深刻な食料不足。エネルギー問題。
グローバルイシューのどれをとっても、僕に起因し、戦争を引き起こしている。
募金も大事だけれど、常に問われているのは自分の暮らしの在り方だ。
昨日の新潟日報で、元京大学長の山極寿一さんが書かれた文章の中に希望の光を見つけた。
故・緒方貞子さんの言葉を引用してこう記されていた。
「もはや国の安全保障に頼るべき時代ではない。数々の戦争は国家元首が国の安全と政治経済的利益を確保するために決断する。犠牲になるのは民間人である。これからは国ではなく、人間の安全保障を目標にしなければならない」
国連難民高等弁務官だった当時の彼女の考え方であるが、今こそその目標に光を強く感じずにいられない。
人間の安全保障とは何か。
国民の感情とは別に鼻息荒く改憲を進めたがる権力者たちがいる。
憲法についてもっと知り、もっと考える契機になればいいと思うし、その際はぜひ人間の安全保障ということも併せて考えたい。
山極さんは「人間の倫理は地域で守ることから始める」とまとめている。
人間が安全に暮らすということはそもそもどういうことだろうか。
国がすべきことは何か、深く考え、厳しく問い続けることはもとより、戦争を起こさない社会をつくっていくためには足元の暮らしをどうするか、そこを見落とさないようにしたいものである。
軍備でも護憲でもない。
根本はそこにある。
最後に切なる願いを。
僕の心などつぶれてもいい。どうか一刻も早くウクライナの戦争が終わり、市民の命が守られることを。
甲斐良治さんが残したもの~追悼~
1月22日、甲斐良治さんが65歳という若さで亡くなられた。
甲斐さんとは農文協(前職出版社)時代、編集局で一緒だったとはいえ、担当雑誌が違ったため僕の直接の上司には当たらない。
にもかかわらず、追悼記事を書かずにはいられない。
「そうじゃない」と甲斐さんをよく知る方々からお𠮟りを受けるかもしれないし、ひょっとしたら天国から本人が突っ込むかもしれませんが、でもやはり書かずにはいられないのだ。お許しください。
甲斐良治さんは農山漁村文化協会で、主に「増刊現代農業」(現「季刊地域」)の編集長を長くやられ、最後は編集局次長として退職されたとうかがっている。退職後は宮崎県高千穂町にもどり、ふるさとのために何かをしようと考えていたのだと思うのだが、急遽したのはそんな矢先だった。
彼の評価としてもっともわかりやすいのが、1999年に受賞した「農業ジャーナリスト賞」だ。「定年帰農」など、田園回帰の社会現象を迅速かつ適確にとらえ発信した仕事が評価されている。私が農文協に入る以前の話なので、もはや伝説として聞き知るだけだが。
僕が甲斐さんと初めて会っている(一方的)のは2000年。茨城県東海村であったフォーラムにて。原子力事故の風評被害からどう立ち直ればいいのか、村長も登壇したパネルディスカッションでした。そこに甲斐さん他、馬路村村長や、綾町の郷田美紀子さんもおられて、22歳で農業研修中の僕にとって、地域づくりという雰囲気に初めて触れたフォーラムだった。
その後僕は青年海外協力隊で2年間アフリカで活動し、戻ってきても、災害ボランティアや、農業アルバイトなどしてプラプラしていたわけだが、その時に出会った本が「青年帰農」(増刊現代農業)だった。当時、個人執筆の就農体験本はそれなりにあった時代だが、社会現象的に若者の田園回帰を、全国各地からまとめ上げた雑誌は珍しかったと思う。
この本は衝撃的で、僕が当時ぼんやり考えていた就農の形とか、方向性とか、価値観とか、どこか通底していて、鼻血が出んばかりに興奮して、興奮しすぎて、何が書いてあるのか理解できず、何度も読み返したほどだ。
そんな折に友人からの勧めもあり、29歳で農文協に就職。そこで生甲斐(なまかい)と遭遇。
僕ら新入社員の最初の試練は、農村まわりをして雑誌や本を売る営業だ。
それを苦痛という人もあるが、僕にとっては未知の農村、農家にどんどん切り込んでいけるという点で楽しさが圧倒していた。そんな折に立て続けに世に出たのが、増刊現代農業「若者はなぜ農山村に向かうのか」「小さな村の希望を旅する」「農的共生社会」(僕のラブチョイスなので本当は飛び飛び発刊)。若者が農山村へ移住する動きの根底を捉えたテーマであり、先の「青年帰農」に続き、今でも僕の就農バイブルとして勝手に殿堂入りさせている。
在職中の僕ときたら、後に「いちいちグサッとくることをいうやつ」と甲斐さんにディスられるほど、嫌な絡み方をしょっちゅうしていた。
営業時代は自分のほうが地域を見て知っているかのごとく、編集時代は自分のほうが農家にとって実用的な記事を書いているかのごとく、旅行会や飲み会のたびに絡んでいた(お恥ずかしい限りで)。
営業で2年、編集で4年、たいした仕事もなさないままに僕は、新潟県上越市の山間地への移住することになり、その受け入れ団体「上越やまざと暮らし応援団」が発足する総会に、甲斐さんが基調講演として呼ばれたのは因縁だろうか。
講演後僕が甲斐さんに伝えたのは、手のひらを返したような熱烈なラブコール。「ずっとファンでした!」
これにはさすがの甲斐さんも一言「やめろ、気持ち悪い!!」
あれから10年。
頭でっかちな僕も、農業を生業にし、村の人に少しはとけこめただろうか。
毎日が発見で、自分の考え方はバタバタと変わり、山間地で農業を営んできた地域の人への尊敬のまなざしが生まれた。
そしてその間、甲斐さんとはfacebookで交流を続けてきた。
農文協の同期だけでも何組も、農山村に向かった若者がある。その多くが甲斐さんに影響を受けていることを僕は知っている。農文協は若い職員が残らないと見られることがあるが、相当数の若者を農村に送り続けているという事実は興味深い。
そこには「増刊現代農業」があり、甲斐さんが居たからではないか。
現代、たとえば農家が組織的に団結してなにかを訴える力は弱っている。
農家だけではない。各自が発信できる時代になり、組織力やネットワーク力というものが、存在感をなくして久しいように感じる。
今僕は、農業をしながら食や農村の問題に悩み、なんとかしなければともがいてきたつもりだ。
だが実際はどうだろうか。農家は減り、食は劣化し、農村は瀕死である。
農家に限らず、雑誌や本は読まれなくなり、メディアは表面的な娯楽が主流となってしまった。
出版社は工夫を凝らして、読者の心をつかまんとするが、遠のく一方だ。
そんな中でも甲斐さんは、退職するまでずっと、地方にまなざしを向け、地方を歩き続けていた。
人と人を結び付け、地域に残る価値を、若者の動きを丁寧にとらえながら、丁寧に伝え続けてきた。
組織やネットワークが弱くなり、無用のように感じる現代、彼が続けてきた仕事の価値は大きかったと今更痛感している。
今の時代は、縦に細分化されすぎて、職業ごとに孤立が起こっているように思う。
それは例えば補助金を巡り、他業種の批判という形に現れることもあり、同じ地方の生業でありながら、せまい範囲でしか物事を考えられなくなってきている。
甲斐さんがつなげてきたのは、例えば農家と林家、農家と漁家、農村と若者、土建屋と農業、弱者と農業、医療と農業、観光と農業、地域と都市である。
それはどんなにすばらしい文章でもできない技だと思う。甲斐さんに紹介され、甲斐さんと一緒に飲む席で出会い、つながってきたたくさんの縁がある。それはそれまでの狭い領域を超えて、根底に同じ問題や希望が流れていることを気づかせてくれる縁だ。
そしてもう一つ。日本各地に農村ライターを育て続けた点も彼ならではだ。
地方で暮らす普通の若者たちを時に厳しく、時に温かく指導しながら、「地元学」に根差した視座を伝えてこられたこともほかの人にはできない活動だった。
とかく絶望ばかりがいわれる現代。
希望をつなぐ力を根張り強く広げ、希望のタネを一人もくもくと蒔き続けてきた人、それが甲斐さんだったと今更思う。
本人を知らない人がここまで読むと、甲斐さんはなんて素敵な人だろうと思うかもしれないが、実物はいつもタバコとお酒の匂いがしていて、どこか寂しそうで、ブスッとしていて、笑うとダウンタウンの松本人志みたいな笑顔になる、くしゃくしゃなおじさんだった。
頑固でいて、不思議と謙虚で、信念を持った、お酒好きのくしゃくしゃのおじさんだった。
甲斐さんがなくなる10日前に、ふと思い立ち彼に送ったメッセージがある。
「退職されたのですね。お疲れさまでした。思い返せば農村移住への憧れに現実的視点+より妄想的なエネルギーを注入してもらったのが、青年帰農以下、若者シリーズです。在職中もしっかり影響を受けていました。今後のご活躍を楽しみにしております。本当にお疲れ様でした」
「普通の若者が農家になろうとするきっかけをたくさん作ってきたということが旧増刊の大きな功績だと勝手に思っています。生意気いってすみません。増刊一冊一冊を今でも宝物のようにしています」
返ってきたのは「いいね」のアイコンだけだったけど(笑)
それが最後のやりとりになりました。
甲斐さん、生意気だった僕も少しは成長てきていますか。
今何を考えていますか。
これから何をするつもりですか。
農家は、農村はどうなっていくんでしょうか。
話したいことがたくさんあった。
また一緒に酒を飲みたかった。
本当はまだ認めたくないけれど、、、
ご冥福意を心よりお祈り申し上げます。合掌。
甲斐さんとは農文協(前職出版社)時代、編集局で一緒だったとはいえ、担当雑誌が違ったため僕の直接の上司には当たらない。
にもかかわらず、追悼記事を書かずにはいられない。
「そうじゃない」と甲斐さんをよく知る方々からお𠮟りを受けるかもしれないし、ひょっとしたら天国から本人が突っ込むかもしれませんが、でもやはり書かずにはいられないのだ。お許しください。
甲斐良治さんは農山漁村文化協会で、主に「増刊現代農業」(現「季刊地域」)の編集長を長くやられ、最後は編集局次長として退職されたとうかがっている。退職後は宮崎県高千穂町にもどり、ふるさとのために何かをしようと考えていたのだと思うのだが、急遽したのはそんな矢先だった。
彼の評価としてもっともわかりやすいのが、1999年に受賞した「農業ジャーナリスト賞」だ。「定年帰農」など、田園回帰の社会現象を迅速かつ適確にとらえ発信した仕事が評価されている。私が農文協に入る以前の話なので、もはや伝説として聞き知るだけだが。
僕が甲斐さんと初めて会っている(一方的)のは2000年。茨城県東海村であったフォーラムにて。原子力事故の風評被害からどう立ち直ればいいのか、村長も登壇したパネルディスカッションでした。そこに甲斐さん他、馬路村村長や、綾町の郷田美紀子さんもおられて、22歳で農業研修中の僕にとって、地域づくりという雰囲気に初めて触れたフォーラムだった。
その後僕は青年海外協力隊で2年間アフリカで活動し、戻ってきても、災害ボランティアや、農業アルバイトなどしてプラプラしていたわけだが、その時に出会った本が「青年帰農」(増刊現代農業)だった。当時、個人執筆の就農体験本はそれなりにあった時代だが、社会現象的に若者の田園回帰を、全国各地からまとめ上げた雑誌は珍しかったと思う。
この本は衝撃的で、僕が当時ぼんやり考えていた就農の形とか、方向性とか、価値観とか、どこか通底していて、鼻血が出んばかりに興奮して、興奮しすぎて、何が書いてあるのか理解できず、何度も読み返したほどだ。
そんな折に友人からの勧めもあり、29歳で農文協に就職。そこで生甲斐(なまかい)と遭遇。
僕ら新入社員の最初の試練は、農村まわりをして雑誌や本を売る営業だ。
それを苦痛という人もあるが、僕にとっては未知の農村、農家にどんどん切り込んでいけるという点で楽しさが圧倒していた。そんな折に立て続けに世に出たのが、増刊現代農業「若者はなぜ農山村に向かうのか」「小さな村の希望を旅する」「農的共生社会」(僕のラブチョイスなので本当は飛び飛び発刊)。若者が農山村へ移住する動きの根底を捉えたテーマであり、先の「青年帰農」に続き、今でも僕の就農バイブルとして勝手に殿堂入りさせている。
在職中の僕ときたら、後に「いちいちグサッとくることをいうやつ」と甲斐さんにディスられるほど、嫌な絡み方をしょっちゅうしていた。
営業時代は自分のほうが地域を見て知っているかのごとく、編集時代は自分のほうが農家にとって実用的な記事を書いているかのごとく、旅行会や飲み会のたびに絡んでいた(お恥ずかしい限りで)。
営業で2年、編集で4年、たいした仕事もなさないままに僕は、新潟県上越市の山間地への移住することになり、その受け入れ団体「上越やまざと暮らし応援団」が発足する総会に、甲斐さんが基調講演として呼ばれたのは因縁だろうか。
講演後僕が甲斐さんに伝えたのは、手のひらを返したような熱烈なラブコール。「ずっとファンでした!」
これにはさすがの甲斐さんも一言「やめろ、気持ち悪い!!」
あれから10年。
頭でっかちな僕も、農業を生業にし、村の人に少しはとけこめただろうか。
毎日が発見で、自分の考え方はバタバタと変わり、山間地で農業を営んできた地域の人への尊敬のまなざしが生まれた。
そしてその間、甲斐さんとはfacebookで交流を続けてきた。
農文協の同期だけでも何組も、農山村に向かった若者がある。その多くが甲斐さんに影響を受けていることを僕は知っている。農文協は若い職員が残らないと見られることがあるが、相当数の若者を農村に送り続けているという事実は興味深い。
そこには「増刊現代農業」があり、甲斐さんが居たからではないか。
現代、たとえば農家が組織的に団結してなにかを訴える力は弱っている。
農家だけではない。各自が発信できる時代になり、組織力やネットワーク力というものが、存在感をなくして久しいように感じる。
今僕は、農業をしながら食や農村の問題に悩み、なんとかしなければともがいてきたつもりだ。
だが実際はどうだろうか。農家は減り、食は劣化し、農村は瀕死である。
農家に限らず、雑誌や本は読まれなくなり、メディアは表面的な娯楽が主流となってしまった。
出版社は工夫を凝らして、読者の心をつかまんとするが、遠のく一方だ。
そんな中でも甲斐さんは、退職するまでずっと、地方にまなざしを向け、地方を歩き続けていた。
人と人を結び付け、地域に残る価値を、若者の動きを丁寧にとらえながら、丁寧に伝え続けてきた。
組織やネットワークが弱くなり、無用のように感じる現代、彼が続けてきた仕事の価値は大きかったと今更痛感している。
今の時代は、縦に細分化されすぎて、職業ごとに孤立が起こっているように思う。
それは例えば補助金を巡り、他業種の批判という形に現れることもあり、同じ地方の生業でありながら、せまい範囲でしか物事を考えられなくなってきている。
甲斐さんがつなげてきたのは、例えば農家と林家、農家と漁家、農村と若者、土建屋と農業、弱者と農業、医療と農業、観光と農業、地域と都市である。
それはどんなにすばらしい文章でもできない技だと思う。甲斐さんに紹介され、甲斐さんと一緒に飲む席で出会い、つながってきたたくさんの縁がある。それはそれまでの狭い領域を超えて、根底に同じ問題や希望が流れていることを気づかせてくれる縁だ。
そしてもう一つ。日本各地に農村ライターを育て続けた点も彼ならではだ。
地方で暮らす普通の若者たちを時に厳しく、時に温かく指導しながら、「地元学」に根差した視座を伝えてこられたこともほかの人にはできない活動だった。
とかく絶望ばかりがいわれる現代。
希望をつなぐ力を根張り強く広げ、希望のタネを一人もくもくと蒔き続けてきた人、それが甲斐さんだったと今更思う。
本人を知らない人がここまで読むと、甲斐さんはなんて素敵な人だろうと思うかもしれないが、実物はいつもタバコとお酒の匂いがしていて、どこか寂しそうで、ブスッとしていて、笑うとダウンタウンの松本人志みたいな笑顔になる、くしゃくしゃなおじさんだった。
頑固でいて、不思議と謙虚で、信念を持った、お酒好きのくしゃくしゃのおじさんだった。
甲斐さんがなくなる10日前に、ふと思い立ち彼に送ったメッセージがある。
「退職されたのですね。お疲れさまでした。思い返せば農村移住への憧れに現実的視点+より妄想的なエネルギーを注入してもらったのが、青年帰農以下、若者シリーズです。在職中もしっかり影響を受けていました。今後のご活躍を楽しみにしております。本当にお疲れ様でした」
「普通の若者が農家になろうとするきっかけをたくさん作ってきたということが旧増刊の大きな功績だと勝手に思っています。生意気いってすみません。増刊一冊一冊を今でも宝物のようにしています」
返ってきたのは「いいね」のアイコンだけだったけど(笑)
それが最後のやりとりになりました。
甲斐さん、生意気だった僕も少しは成長てきていますか。
今何を考えていますか。
これから何をするつもりですか。
農家は、農村はどうなっていくんでしょうか。
話したいことがたくさんあった。
また一緒に酒を飲みたかった。
本当はまだ認めたくないけれど、、、
ご冥福意を心よりお祈り申し上げます。合掌。
打った打たないでディスり合うなかれ
コロナワクチンについての雑感。
内容によっては消されちゃったりするのかどうか、ドキドキ。
実は拙者、ワクチンはまだ打っていない。
市の集団接種の案内をもらった時には「このタイミングに乗っとけ」と思ったのだが、たまたま別のウイルスに感染し、コロナワクチン接種をドクターストップされるという事態になり、予約をキャンセル。予約センターに電話すると「これ以降は、市主催の集団接種は予定ありません」と言われる。
それまでは「ワクチンは打って当然」と特に疑うことなく思っていたので、誘導されるままにいた。
ところが人間、タイミングを逸してみると、一瞬立ち止まり考える生き物らしい。
自発的な要素が多くなったことで、打つか打たないか、急に目の前に分かれ道が立ち現れた感じだ。
だからワクチンを打たないとも、打つとも決めたわけではない、とってもニュートラルな立場になれたわけである。
そんな立場であるうちに、立ち止まって考えたことを書き残しておこうかな。
いちばん気にかかるのは副反応である。
妻は2回目のワクチン後、結構熱が出て、腕がパンパン。農作業どころか、1日半何もできず寝て過ごした。
妻に限らず、僕の知る限りでも多くの知人がなにかしらの副反応に苦しんだことを知っている。
国はワクチン接種を推進する立場だから、副反応についてはいちいち詳しくなんて発表しないし、それどころかワクチン後に死んだとしても因果関係はないと言い切る。
これはアクドイかというと、そうでもない気がする。
集団免疫を獲得して経済を回すという大いなる目的があるので(国民の命を守るという目的はたぶん建前、それが近代国家の常だと理解しておりやす)、そのためなら、ワクチンに対してネガティブな情報はなるべく隠して、ミッションを遂行するというのは、ある意味筋が通っている。
個人的にはそういう態度は許せないけれど、筋はかなり通っている。
たとえば沖縄の基地問題、たとえば原発、どれも国家として筋を通すうえで隠す、ぼんやりさせるというのは、これは珍しいことではないわけだ。
指摘したいのは、ワクチンを打つ打たないで、SNS上で激しい非難合戦が展開されているというい点だ。
まさしく分断の最たるもので、情けない。そんなためにスマホを使っているのか、インターネットはあるのか。
政府が政府の立場として筋を通すことは、百歩譲って理解はできる。
しかし頼まれもしない、国に雇われもしない、普通の国民がボランティアで警察を買って出る必要はまったくない。
政府の方針をバックに、従わない人間をバッシングするのは、国民の権利を放棄した、ニセポリスだ。
国民は主権者である。
政府はしょせん政府である。
僕は「国民は主権者である」という責任と誇りをいつも忘れないでいたい。
政府の意向をうのみにするのはこの崇高な権利の放棄である。
まさしく思考の停止そのもの。
僕が考える主権者とは、自分でとことん考え自分の意見を発すること。同時にまったく他人の意見を尊重すること。
無条件で政府の意向をうのみにし、同じ主権者たる国民を傷づけるのであれば、これほど悲しいことはない。
打った打たないの問題なんかじゃない。
そこ、どうでもいいって!
これはもう人類の劣化という問題だと、僕は思う。
核兵器よりも怖いのは、分断。分断で人類は滅びると予言しちゃってもいい。
分断の根っこは、主権者意識の劣化にほかならない!
ネット上に流れてくる情報を軽々しくシェアすること、これもまったく思考の停止。
小学生じゃないんだから、よく考えもせず「同じです」ですみませんから。
自分の意見が発するよりも、他人の意見をよく咀嚼せずにシェアするほうが責任が重いと思う。
シェアはたった一人の意見がネット上で増幅するからだ。
これはワクチン賛成派も反対派もどっちも気を付けたい大事な点。
いや、あらゆる問題について、シェア男&シェア子にならないように気を付けたい。
言いっぱなしじゃ無責任な気がするので、最後に提案して寝ます。
一番心配なのは副反応に苦しむ人たちだ。
今後も3回目ワクチンとか毎年ワクチンという話が出る中で、重い副反応があった人は不安で仕方ないと想像する。
であればパッチテストのようなものはできないのだろうか。
副反応が予測される、もしくは過去に副反応が強く出た方は接種をしなくてもいいというメッセージを政府には出していただきたい。
集団免疫獲得のためには、ある程度の接種率が必要なのはもちろん理解できる。
でもそれはある程度までの接種率を目指せばいいわけだ。
副反応が軽い人や基礎疾患のある人などを中心に接種率を上げるという方針なら問題なく運用できると考えます。
エライ人、こんなブログ誰も読まないかもしれないけれど、よろしくね💛
内容によっては消されちゃったりするのかどうか、ドキドキ。
実は拙者、ワクチンはまだ打っていない。
市の集団接種の案内をもらった時には「このタイミングに乗っとけ」と思ったのだが、たまたま別のウイルスに感染し、コロナワクチン接種をドクターストップされるという事態になり、予約をキャンセル。予約センターに電話すると「これ以降は、市主催の集団接種は予定ありません」と言われる。
それまでは「ワクチンは打って当然」と特に疑うことなく思っていたので、誘導されるままにいた。
ところが人間、タイミングを逸してみると、一瞬立ち止まり考える生き物らしい。
自発的な要素が多くなったことで、打つか打たないか、急に目の前に分かれ道が立ち現れた感じだ。
だからワクチンを打たないとも、打つとも決めたわけではない、とってもニュートラルな立場になれたわけである。
そんな立場であるうちに、立ち止まって考えたことを書き残しておこうかな。
いちばん気にかかるのは副反応である。
妻は2回目のワクチン後、結構熱が出て、腕がパンパン。農作業どころか、1日半何もできず寝て過ごした。
妻に限らず、僕の知る限りでも多くの知人がなにかしらの副反応に苦しんだことを知っている。
国はワクチン接種を推進する立場だから、副反応についてはいちいち詳しくなんて発表しないし、それどころかワクチン後に死んだとしても因果関係はないと言い切る。
これはアクドイかというと、そうでもない気がする。
集団免疫を獲得して経済を回すという大いなる目的があるので(国民の命を守るという目的はたぶん建前、それが近代国家の常だと理解しておりやす)、そのためなら、ワクチンに対してネガティブな情報はなるべく隠して、ミッションを遂行するというのは、ある意味筋が通っている。
個人的にはそういう態度は許せないけれど、筋はかなり通っている。
たとえば沖縄の基地問題、たとえば原発、どれも国家として筋を通すうえで隠す、ぼんやりさせるというのは、これは珍しいことではないわけだ。
指摘したいのは、ワクチンを打つ打たないで、SNS上で激しい非難合戦が展開されているというい点だ。
まさしく分断の最たるもので、情けない。そんなためにスマホを使っているのか、インターネットはあるのか。
政府が政府の立場として筋を通すことは、百歩譲って理解はできる。
しかし頼まれもしない、国に雇われもしない、普通の国民がボランティアで警察を買って出る必要はまったくない。
政府の方針をバックに、従わない人間をバッシングするのは、国民の権利を放棄した、ニセポリスだ。
国民は主権者である。
政府はしょせん政府である。
僕は「国民は主権者である」という責任と誇りをいつも忘れないでいたい。
政府の意向をうのみにするのはこの崇高な権利の放棄である。
まさしく思考の停止そのもの。
僕が考える主権者とは、自分でとことん考え自分の意見を発すること。同時にまったく他人の意見を尊重すること。
無条件で政府の意向をうのみにし、同じ主権者たる国民を傷づけるのであれば、これほど悲しいことはない。
打った打たないの問題なんかじゃない。
そこ、どうでもいいって!
これはもう人類の劣化という問題だと、僕は思う。
核兵器よりも怖いのは、分断。分断で人類は滅びると予言しちゃってもいい。
分断の根っこは、主権者意識の劣化にほかならない!
ネット上に流れてくる情報を軽々しくシェアすること、これもまったく思考の停止。
小学生じゃないんだから、よく考えもせず「同じです」ですみませんから。
自分の意見が発するよりも、他人の意見をよく咀嚼せずにシェアするほうが責任が重いと思う。
シェアはたった一人の意見がネット上で増幅するからだ。
これはワクチン賛成派も反対派もどっちも気を付けたい大事な点。
いや、あらゆる問題について、シェア男&シェア子にならないように気を付けたい。
言いっぱなしじゃ無責任な気がするので、最後に提案して寝ます。
一番心配なのは副反応に苦しむ人たちだ。
今後も3回目ワクチンとか毎年ワクチンという話が出る中で、重い副反応があった人は不安で仕方ないと想像する。
であればパッチテストのようなものはできないのだろうか。
副反応が予測される、もしくは過去に副反応が強く出た方は接種をしなくてもいいというメッセージを政府には出していただきたい。
集団免疫獲得のためには、ある程度の接種率が必要なのはもちろん理解できる。
でもそれはある程度までの接種率を目指せばいいわけだ。
副反応が軽い人や基礎疾患のある人などを中心に接種率を上げるという方針なら問題なく運用できると考えます。
エライ人、こんなブログ誰も読まないかもしれないけれど、よろしくね💛
「夢をあきらめないで」が好きな日本人
世界的に活躍したアスリートや有名人が小学校とかに呼ばれて講演して、わりと多いテーマが
「夢をあきらめないで」。
夢をあきらめず、信じて努力を続ければかなうというアドバイスなのでしょうが、これはどうもおかしいぞと思う。
そもそも、誰もかれもが世界一になるような大それた夢を持たないとならんもんかと率直な疑問。
ちなみに僕の夢は高校生で思い描いた「海外で国際協力すること」と「山奥で農家になること」だった。
それはあっさりかなってしまった。親は反対もせず、逆にやれやれと。実際かなったところでとくに褒めることなく。
それなのにメディアとかはこういうのが大好きで、都会から山奥に移住して農家になったというネタに、テレビ局も新聞社も取材に来た。僕としては農家になることはそれほど大変じゃなかったのに、どうして騒がれるのかわからなかった。
むしろ農家になってから、経営していくことが大変だと実感する日々である。
「夢をあきらめないで」の裏にあるのは「夢はあきらめがち」ということである。
どうしてあきらめがちかというと、夢をかなえさせないようにする抵抗勢力が多いということである。
それはズバリ言ってしまえば、大人である。
「そんなんで将来大丈夫か」「家族は養えるのか」「ちゃんと稼げるのか」……エトセトラ。
この国の大人は結構臆病だ。自分の狭い価値観に子供の進路まで当てはめてアドバイスしてしまう。
「夢はあきらめろ」
「夢なんてあきらめて、現実主義で行こう」
それが大半の大人の主張なのかもしれない.。
身近な人ほど親身になって、夢の邪魔をするわけだ。
だから大した夢じゃなくても、あきらめてしまう。
その裏返しが、成功者のアドバイス「夢をあきらめないで」なのだろう。
僕は思う。
夢なんて描いたらどんどん妄想を膨らませればいい。
そうして描いた通り歩き出せばいい。
躓いて、すりむいたら、自分で考えたらいい。
狭い価値観、他人の価値観に縛られず、好きなだけ好きな生き方をしなければ、人生は結構短いようだし。
ね。
戦後、あまりにも一時的に経済の急成長をとげた日本の大人は、その時につくられた価値観と逆に不安とに凝り固まっている。
子供に夢をあきらめさせ、希望を狭める障害にすらなっている。
夢をかなえる?そんなの簡単だよ。自分で考えて歩けばいいのだ。
世界一自己肯定感の低い日本の子供たち。
それは僕たち大人のせいなんだろうね。
国際的に活躍する人材を育てるために、小学校から英語教育?
パソコンに触れさせる?プログラミング?
はあ?
ダメダメダメ。
なんだよ、国際人って?その定義あいまいー!
いいじゃん、農家になったって。
いいじゃん、自伐林業家で。
いいじゃん、漁師でも、猟師でも。
いいじゃん清掃員で。
いいじゃんバックパッカーで。
自分がかっこいいと思える、自分だけの夢をちゃんとかなえられる世の中に、大人がしてあげないとかわいそうだよ、子供たちが。
個性的な夢を応援する大人が増えること、それが本当の国際人、地球の未来をに担う子供たちを育てるということだと思いませんか。
我々大人がしてきたことで、これからを生きる子供たちはたくさんの課題に直面している。
環境問題はその一つに過ぎない。
それら山積する課題を乗り越えていかなければならない子供たちなのに、自分の子供だけは安定して食べていければいいといった個人主義でしか子供の進路を導けないのであれば、子供はそのように育ち、早いか遅いか人類は滅びるわけだ。
自分で考え、自分で歩く。
人類固有の超基本的・超能力。
これを伸ばしてあげるためには、じゃんじゃん夢をかなえてやってほしい。
そう切に願う、秋のアラフォーオヤジである。
「夢をあきらめないで」。
夢をあきらめず、信じて努力を続ければかなうというアドバイスなのでしょうが、これはどうもおかしいぞと思う。
そもそも、誰もかれもが世界一になるような大それた夢を持たないとならんもんかと率直な疑問。
ちなみに僕の夢は高校生で思い描いた「海外で国際協力すること」と「山奥で農家になること」だった。
それはあっさりかなってしまった。親は反対もせず、逆にやれやれと。実際かなったところでとくに褒めることなく。
それなのにメディアとかはこういうのが大好きで、都会から山奥に移住して農家になったというネタに、テレビ局も新聞社も取材に来た。僕としては農家になることはそれほど大変じゃなかったのに、どうして騒がれるのかわからなかった。
むしろ農家になってから、経営していくことが大変だと実感する日々である。
「夢をあきらめないで」の裏にあるのは「夢はあきらめがち」ということである。
どうしてあきらめがちかというと、夢をかなえさせないようにする抵抗勢力が多いということである。
それはズバリ言ってしまえば、大人である。
「そんなんで将来大丈夫か」「家族は養えるのか」「ちゃんと稼げるのか」……エトセトラ。
この国の大人は結構臆病だ。自分の狭い価値観に子供の進路まで当てはめてアドバイスしてしまう。
「夢はあきらめろ」
「夢なんてあきらめて、現実主義で行こう」
それが大半の大人の主張なのかもしれない.。
身近な人ほど親身になって、夢の邪魔をするわけだ。
だから大した夢じゃなくても、あきらめてしまう。
その裏返しが、成功者のアドバイス「夢をあきらめないで」なのだろう。
僕は思う。
夢なんて描いたらどんどん妄想を膨らませればいい。
そうして描いた通り歩き出せばいい。
躓いて、すりむいたら、自分で考えたらいい。
狭い価値観、他人の価値観に縛られず、好きなだけ好きな生き方をしなければ、人生は結構短いようだし。
ね。
戦後、あまりにも一時的に経済の急成長をとげた日本の大人は、その時につくられた価値観と逆に不安とに凝り固まっている。
子供に夢をあきらめさせ、希望を狭める障害にすらなっている。
夢をかなえる?そんなの簡単だよ。自分で考えて歩けばいいのだ。
世界一自己肯定感の低い日本の子供たち。
それは僕たち大人のせいなんだろうね。
国際的に活躍する人材を育てるために、小学校から英語教育?
パソコンに触れさせる?プログラミング?
はあ?
ダメダメダメ。
なんだよ、国際人って?その定義あいまいー!
いいじゃん、農家になったって。
いいじゃん、自伐林業家で。
いいじゃん、漁師でも、猟師でも。
いいじゃん清掃員で。
いいじゃんバックパッカーで。
自分がかっこいいと思える、自分だけの夢をちゃんとかなえられる世の中に、大人がしてあげないとかわいそうだよ、子供たちが。
個性的な夢を応援する大人が増えること、それが本当の国際人、地球の未来をに担う子供たちを育てるということだと思いませんか。
我々大人がしてきたことで、これからを生きる子供たちはたくさんの課題に直面している。
環境問題はその一つに過ぎない。
それら山積する課題を乗り越えていかなければならない子供たちなのに、自分の子供だけは安定して食べていければいいといった個人主義でしか子供の進路を導けないのであれば、子供はそのように育ち、早いか遅いか人類は滅びるわけだ。
自分で考え、自分で歩く。
人類固有の超基本的・超能力。
これを伸ばしてあげるためには、じゃんじゃん夢をかなえてやってほしい。
そう切に願う、秋のアラフォーオヤジである。