時々節々を大事にする暮らし

妻の友人のソニアさんは、オーストラリア在住のドイツ人。
日本に居たこともあるというが、きれいな日本語にびっくり。
ソニアさんが我が家に来た(7月1日~2日)のは、スイスの「新チューリッヒ新聞」に掲載する記事の取材でした。
近年、日本の若者が田舎の田舎を目指すムーブメントについての取材(だったような)とのこと。

ソニアさんはスラッと背が高くてかっこいい。
道普請の後の飲み会に飛び入り参加し、村のじいちゃんたちに、あれこれ質問していた。
石谷の背が低くてもかっこいいマサヨシさんと並ぶとこうなる。
以前見知らぬフランス人が訪ねて来た時もそうだったが、マサヨシさんは外国人に受けがいい。日本人も外国人も関係なく、思いっきり石谷言葉で話しかけるところがかっこいい。
取材を受けると自分たちの考えを言葉にしようともがくうちに自分たちでも驚くような内なる発見がある。そこが面白い。
今回は季節ごとに近所からいただくものについて、内なる発見。
覚えているうちに書き残しておきます。

7月のはじめ頃、村の母ちゃんたちはチマキや笹団子をつくります。
去年、教えてもらった、ちまきの縛り方を、すっかり忘れてしまった妻がまた教えてもらっていました。

村の人は、季節に合わせて、節目節目を楽しむ風習がある。
菖蒲湯、朴葉めし、山の神様、オバナ祭り、ちまき、笹団子、豆腐、春祭り、山菜料理。
そのたびに、我が家にはおいしい季節の郷土料理が届く。
何日がなんの日か、なんの節句か、まだよくわかっていない僕たちだが、いただきものはおいしくいただいている。
彼らのこの一連の行動は、忙しいばかりの僕たちには、無縁だ。
そう思っていました。
でも、本当はすごくやってみたい。村の人たちのように、季節に合わせて小さな行事を重ねるような時間を過ごしたい。そう思うようになってきました。
こういった行事はおそらく、娯楽が少なかった時代に、大変な農作業や豪雪の合間に、節目を設けて休んだり楽しんだりした名残りのように思います。
これらの行事、料理に魅かれるのは、単なる憧れだけではありません。
彼らの一年の動きを見ていると、実に無駄がなく、次の季節を読みながら、段取りをして、上手に作業を進めていきます。
それに呼応するように、節目節目にその季節の恵みを上手に取り込み、楽しんでいます。
今の僕たちは、下手くそな仕事のために、人様よりもずいぶんずれた作業をしています。
そのせいで、季節感をつかみづらく、一年があたふたと過ぎていきます。
この村の先輩方のように、本当にこの村の自然に合わせた作業や暮らしができるようになると、節目が際立つようになり、季節を感じる力が備わるのではないかと思うのです。
だからいつの日か、この村の小さな行事まで、マネできるようになりたい。
せっかく自然豊かなこの村に暮すのだから。
かっこよく暮らせるようになりたいな。
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石谷の収穫祭
田んぼの仕事がひと段落ついたところで、毎年恒例の収穫祭です。
この収穫祭は、石谷集落の全員参加。父ちゃんも母ちゃんも。
働き者の村の人たちも、この日だけは、ちょっとバスで遠出して、一日じょんのび(のんびり)してきます。

今年は、柏崎の漁港近くのホテル。岬の先に建っていて景色は最高。料理もちょうどよく、盛り上がりました。
海を一望できるお風呂にも入りました。
カラオケもガンガン歌いました。

この収穫祭、僕が石谷に住んでから5回目です。
つまり僕がこちらに住んでから、みんなも5つ歳をとったということ。
今年は体調不良で欠席の人が何名が出ました。
年齢を考えると、こうやってみんなで出かける収穫祭は今年で最後にしようということになりました。
ちょっぴり寂しい気がします。
少ない人数でも、石谷という集落が、ひとつの家族だなと感じられる行事の一つで、僕は大好きでした。
遠出はしなくても、今年の野良仕事を振り返りながら、来年も違う形で収穫祭ができたらいいなと思います。
この収穫祭は、石谷集落の全員参加。父ちゃんも母ちゃんも。
働き者の村の人たちも、この日だけは、ちょっとバスで遠出して、一日じょんのび(のんびり)してきます。

今年は、柏崎の漁港近くのホテル。岬の先に建っていて景色は最高。料理もちょうどよく、盛り上がりました。
海を一望できるお風呂にも入りました。
カラオケもガンガン歌いました。

この収穫祭、僕が石谷に住んでから5回目です。
つまり僕がこちらに住んでから、みんなも5つ歳をとったということ。
今年は体調不良で欠席の人が何名が出ました。
年齢を考えると、こうやってみんなで出かける収穫祭は今年で最後にしようということになりました。
ちょっぴり寂しい気がします。
少ない人数でも、石谷という集落が、ひとつの家族だなと感じられる行事の一つで、僕は大好きでした。
遠出はしなくても、今年の野良仕事を振り返りながら、来年も違う形で収穫祭ができたらいいなと思います。
1ヶ月早足です

田んぼの雪もだんだんと消えてきました。
今年は雪の少ない冬で、あっという間に春になった感じがします。
大雪にてんてこまいの年がほとんどですが、こういう年には雪のない気楽さと同時に雪のない不安とありがたさを思います。
雪がたくさん降れば、山からの水は時間をかけて流れ続け、田を潤し、村に恵みを与えてくれます。
田んぼの水は足りるのだろうか。天候に不安を感じつつも、春が来た喜びと、上手な米づくりをしたいという気持ちが湧いてきます。
やはり春は、この村で一番いい季節なのです。

今日は田んぼの邪魔をしていた木を切りに雪の上を歩いて山へ行ってきました。
切った胡桃の木には、ナメコなどのきのこを打ち込みます。
そして帰りは「ふきのとう」をとりながらのんびりと。

ここらへんでは「フキント」といいます。かわいいでしょ。
去年より1ヶ月早い感じです。

ヨシエさんからソバをいただきました。
お礼にフキントの天ぷら。
春の苦味とソバの香りをいただきました。
出会いが重なって今がある
5月3日、旧川谷小学校の体育館に、川谷地域のみんなと、僕たちの家族と親友が集まってくれました。
妻は石谷にとっては40年ぶり、川谷地域では20年ぶりのお嫁さんです。
ささやかだけど精一杯の気持ちを込めて、手作りの結婚披露パーティを開きました。

結婚しようと決めたときから、僕たち二人の頭の中には「川谷小学校で結婚式を挙げたい」という共通のイメージがありました。
それはこれまでもこれからも家族のように一緒に暮らしていく村の人たちにきちんと挨拶をしたかったから。
そして僕たちが、どんな素敵な人たちと自然に囲まれて暮らしていこうとしているか、家族と親友に感じてほしかったからです。

僕がこの村に移り住んでからの3年間だけでなく、彼女がこの冬に来てからの3ヶ月間も、村の人のやさしさは絶え間なく僕たちを支えてくれました。
それは直接的な支援だけじゃなく、彼らの生き方、暮らし方そのものの中に、素直で無邪気でゆったりしていて、安心するなにかが漂っていて、それに僕も彼女も何度も救われてきました。
ここで生きていこうと思うことができたのは、紛れもなく村のみんなのおかげです。

パーティの中で挨拶をさせていただく時間をもらったものの、お酒と嬉しさのせいで、涙が止まらず、僕の気持ちをうまく伝えることができなかったかもしれません。
この日の気持ち、村の人に伝えたかったことを書き残しておこうと思います。
★★★★★★★
僕が両親の元に生まれてきたのは偶然。
仲のいい3人兄弟の次男に生まれてきたのも偶然。
愉快で頼もしい友達だちに出会えたのも偶然。
この村に住むことになったのも偶然。
村のみんなに出会ったのも偶然。
そして、こんなに素敵な彼女と出会えたのも偶然。
人生なんて偶然の出会いの連続でしかないのかもしれません。
でも振り返って考えてみるとき、いろんなことはあったけれど、僕はずいぶんと幸せな偶然を重ねてきたのだと思います。
今の幸せをちゃんと幸せと感じられるのは、つらいときや、じっと我慢するときがあったから。
そのことを考えられるようになったのは、この村で暮らすようになってからかもしれません。
長い冬を経て出会う春への特別な感情は、独りよがりだった僕の心を開いてくれました。
そして冬の厳しさを知り、毎年訪れる春を、毎年丁寧に迎える村のみんなに出会って、僕はずいぶん変わりました。
この村に住むようになって、ずいぶんと涙もろくなりました。
でもそれは、東京で仕事をしていたときのように、苦しくて流す涙でも、悲しくて流す涙でもありません。
豊かな自然の営みに感動したり、村のみんなのおかしな話が面白くて流す、嬉し涙です。
これからは一人じゃなく、二人で笑いながら、嬉し涙をたくさん流して暮らしていこうと思います。
★★★★★

このパーティは村の人と家族のサポートがなければ実現しませんでした。
二人のわがままに、立ち上がってくれた石谷の母ちゃんたちには伝えきれない感謝の気持ちでいっぱいです。
この日の料理のほとんどは母ちゃんたちの手作りです。
田んぼや山菜取りで忙しい時期だったこと、年齢的にも厳しいことから、あきらめかけた時もありましたが、押し寿司やら雑煮やら、漬物やら、もうありったけのアイデアと技術を注ぎ込んでくれました。
父ちゃんたちには、重い机やらピアノやらを運んでもらい、校庭~校舎の周りまできれいに掃除をしてもらいました。当日は餅つきや、詩吟&カラオケで、場の雰囲気を和らげてくれました。
前日の準備からその後の掃除まで手伝ってくれた彼女の家族。ピアノやフルートで盛り上げてくれた姉弟。
写真学校の先生にカメラマンになってもらい、川谷出身の花屋さんに会場を飾ってもらいました。
そしてなんと、パーティが終わるとすぐに参加者全員で会場の後片付け。
なにからなにまで支えてもらって、川谷のいいところが全部詰まった結婚パーティになりました。
どんなにお金をかけてもできない、手作りの素敵な素敵なパーティをありがとうございました。
この感動は、僕たちが暮らしを変えていくことでしか、伝えることはできないと思っています。
流せれず、あきらめず、自分たちらしい暮らしを村のみんなと一緒につくってつないでいきたいと思います。
新たなスタートラインに立ったばかりの未熟な二人を、どうか今後とも暖かく見守ってくだされば幸いです。
妻は石谷にとっては40年ぶり、川谷地域では20年ぶりのお嫁さんです。
ささやかだけど精一杯の気持ちを込めて、手作りの結婚披露パーティを開きました。

結婚しようと決めたときから、僕たち二人の頭の中には「川谷小学校で結婚式を挙げたい」という共通のイメージがありました。
それはこれまでもこれからも家族のように一緒に暮らしていく村の人たちにきちんと挨拶をしたかったから。
そして僕たちが、どんな素敵な人たちと自然に囲まれて暮らしていこうとしているか、家族と親友に感じてほしかったからです。

僕がこの村に移り住んでからの3年間だけでなく、彼女がこの冬に来てからの3ヶ月間も、村の人のやさしさは絶え間なく僕たちを支えてくれました。
それは直接的な支援だけじゃなく、彼らの生き方、暮らし方そのものの中に、素直で無邪気でゆったりしていて、安心するなにかが漂っていて、それに僕も彼女も何度も救われてきました。
ここで生きていこうと思うことができたのは、紛れもなく村のみんなのおかげです。

パーティの中で挨拶をさせていただく時間をもらったものの、お酒と嬉しさのせいで、涙が止まらず、僕の気持ちをうまく伝えることができなかったかもしれません。
この日の気持ち、村の人に伝えたかったことを書き残しておこうと思います。
★★★★★★★
僕が両親の元に生まれてきたのは偶然。
仲のいい3人兄弟の次男に生まれてきたのも偶然。
愉快で頼もしい友達だちに出会えたのも偶然。
この村に住むことになったのも偶然。
村のみんなに出会ったのも偶然。
そして、こんなに素敵な彼女と出会えたのも偶然。
人生なんて偶然の出会いの連続でしかないのかもしれません。
でも振り返って考えてみるとき、いろんなことはあったけれど、僕はずいぶんと幸せな偶然を重ねてきたのだと思います。
今の幸せをちゃんと幸せと感じられるのは、つらいときや、じっと我慢するときがあったから。
そのことを考えられるようになったのは、この村で暮らすようになってからかもしれません。
長い冬を経て出会う春への特別な感情は、独りよがりだった僕の心を開いてくれました。
そして冬の厳しさを知り、毎年訪れる春を、毎年丁寧に迎える村のみんなに出会って、僕はずいぶん変わりました。
この村に住むようになって、ずいぶんと涙もろくなりました。
でもそれは、東京で仕事をしていたときのように、苦しくて流す涙でも、悲しくて流す涙でもありません。
豊かな自然の営みに感動したり、村のみんなのおかしな話が面白くて流す、嬉し涙です。
これからは一人じゃなく、二人で笑いながら、嬉し涙をたくさん流して暮らしていこうと思います。
★★★★★

このパーティは村の人と家族のサポートがなければ実現しませんでした。
二人のわがままに、立ち上がってくれた石谷の母ちゃんたちには伝えきれない感謝の気持ちでいっぱいです。
この日の料理のほとんどは母ちゃんたちの手作りです。
田んぼや山菜取りで忙しい時期だったこと、年齢的にも厳しいことから、あきらめかけた時もありましたが、押し寿司やら雑煮やら、漬物やら、もうありったけのアイデアと技術を注ぎ込んでくれました。
父ちゃんたちには、重い机やらピアノやらを運んでもらい、校庭~校舎の周りまできれいに掃除をしてもらいました。当日は餅つきや、詩吟&カラオケで、場の雰囲気を和らげてくれました。
前日の準備からその後の掃除まで手伝ってくれた彼女の家族。ピアノやフルートで盛り上げてくれた姉弟。
写真学校の先生にカメラマンになってもらい、川谷出身の花屋さんに会場を飾ってもらいました。
そしてなんと、パーティが終わるとすぐに参加者全員で会場の後片付け。
なにからなにまで支えてもらって、川谷のいいところが全部詰まった結婚パーティになりました。
どんなにお金をかけてもできない、手作りの素敵な素敵なパーティをありがとうございました。
この感動は、僕たちが暮らしを変えていくことでしか、伝えることはできないと思っています。
流せれず、あきらめず、自分たちらしい暮らしを村のみんなと一緒につくってつないでいきたいと思います。
新たなスタートラインに立ったばかりの未熟な二人を、どうか今後とも暖かく見守ってくだされば幸いです。
雪下ろし、早くも1回目

この冬は小雪になりそうだと聞いていました。たしかに12月に入っても雪の降る気配がなかったようで、ついつい油断していました。
12月5日、初雪からドカドカと降り積もり根雪になってしまいました。
我が家は落雪式のとたん屋根吹き。屋根に上がって雪下ろしをしなくてもいい構造です。
ただし軒上の屋根だけは傾斜がほとんどなく、雪下ろしをしないといけません。
降り始めて10日でもう雪下ろしをしないと危険なレベルに達しました。
加工所の仕事から上がってくるのが3時半。そこから急いで屋根に上がってスノーダンプで雪を落とします。
下に軽トラをつけておき、荷台に雪を落とし、そのまま川に捨てに行きます。
軽トラ山盛り3台分をかたづけました。
今夜から猛烈な寒波が来るとか。
雪との戦いが始まりました。