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僕がTPPに反対する理由

TPPに僕は反対です。
その理由を、今までなかなかうまく表現できずにいましたが、原稿の依頼があり、考え込んで考え抜いて、出した答えがこちら。

雑誌「季刊地域」24号に載せていただいた記事を転載します。

「十三年前、青年海外協力隊として活動した東アフリカのウガンダ共和国で、主食のバナナを中心にした持続的な暮らしに出会いました。家のまわりに植えられたバナナ林。その大きな葉と不耕起栽培が雨と紫外線から土壌を守り、倒されたバナナの木は牛が食み、肥やしを落とす……。「アフリカの真珠」と評されるほど美しく豊かな自然と、無邪気な農家の笑顔、そのわけはバナナのおかげでした。

約四年前に新潟の山村に移住し、米と野菜をつくっています。この村で暮らすようになってまたもや農家の暮らしに惹かれる日々です。雪深い冬を越え春になると、四季折々の山菜や野菜を大切に料理し、また冬に向け手をかけて保存します。ぜんまい、うど、こんにゃく、そば、干し柿、あんこ、もち、漬物、みそ、豆腐。どんなに手間はかかっても、買わずに手作りを続けています。たまに一緒に外食すると決まって「自分たでしたほうがうめー。いっぺ食える」となってしまいます(僕も同感です!)。
でも彼らが手作りの暮らしを続けるわけは「おいしい」からだけではないような気がしています。季節が来ると体がうずうず、心がウキウキ、いてもたってもいられなくなるみたいです。この村の人には、ここの自然と季節に寄り添った暮らしがいちばん合っているのだと思います。

TPPを進める側の狙いは、食糧戦争と食の劣化に、ウガンダや日本の農家を加担させることだと思います。そしてそのために、今まで踏ん張ってきた農家に農業を止めさせ、若い農家に戦いを強要するような政策がもてはやされる時代へと突き進んでいます。
グローバル経済において「生き残りをかける」ということは、国境を越えて農家が争い、時間をかけて築き上げてきた「自然と寄り添う暮らし方」を壊し合うことです。実はそのことがまた気候変動を引き起こし、農業をやりづらくし、農業への理解と農産物の消費をどんどん減らしていくような気がしてなりません。

駆け出しの僕なりに、農家としての信念があります。
農業の魅力と強さは、この村の先輩農家のように、自然と寄り添う暮らし方を続けることだと思っています。そのことが、今世界が直面している食や暮らしの劣化にブレーキをかける力になると信じています。時代が変わろうと、自然と向き合い、食の源流で仕事をする農家にしか伝えられないことは変わらないはずです。逆をいえば、農家があきらめてしまったら、誰が人間本来の暮らしを伝え、守ることができるというのでしょうか。
この村で先輩たちから教わる知恵や技の数々はどれもキラキラと輝いています。習ったことはヘタクソなりに実践し、お客さんへの通信やブログを通して発信をしています。
もし仮に一二〇万戸の農家が、農家ならではの暮らしを実践し、それぞれ一〇〇人の消費者にその魅力を伝えたならどうなるでしょうか。政治的な運動より、そのほうが人の心に訴えかける力が強いと思います。食や暮らしを取り戻す力に留まらず、農家そのものを目指す人もまた増えてくるはずです。」

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2016-07-19 22:32 : 思索ノート : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

選挙に行こう

明日は参院選。
僕の思いは一つ。どうか、みなさん、選挙に行ってください。

Facebookで2014年に投稿した文章です。

僕はそもそも、選挙で社会が変わるとはあまり思っていないのです。
社会を変えるのは、自分たちであって、政治家ではない。
だけれど僕は必ず選挙に行く。入れた票のほとんどが、選挙の結果に結びつかなかったけれど。やっぱり選挙は行くもんだと思っている。
政治が腐っているから、選挙になんか行かないという気持ちも、ちゃんとわかっているつもり。だから他人に「選挙に行くように」なんて、余計なことと思って言ってきませんでした。
僕が選挙に行く理由は、選挙権獲得の歴史や、いまだにまともな選挙が行われない国や地域があることを思うと、投票できることを「当たり前」だなんて、とうてい思えないからです。
徴兵がないことも、経済的に豊かな社会も、国民皆保険も、どれもこれも僕が生まれたときから与えられてきたもの。それを当たり前と思ってしまいがちだけれど、同じ時代にそうでない現実が存在する限り、僕たちはこれらの権利や幸せをまた失うこともありうると考えています。今ある権利や、いのち、食べ物、環境、それらを粗末にするならば、取り上げられても仕方ないのではないか。
だから僕は選挙に行きます。命をかけて選挙権を獲得した先人のことを考えて、大事に大事に選挙に行きたいのです。
それはまるで、この山奥で豊かな実りを与えてくれる田んぼへの感謝の気持ちと似ています。機械のない時代に、体をはり開墾し、命をかけて水を引いたからこそ、僕は米をつくり、生きていくことができる。田んぼを荒らせば、二度と元のようには戻りません。
選挙も同じじゃないかな。
選挙に行って投票することは、選挙権を守って、民主主義を育て、次の世代に残してくことだと思います。
成人して初めて行った投票所。あのときの「大人になった」ささやかなここちよさを思い出します。

新潟に住むようになってから「柏崎の原発再稼動の是非を県民投票で!」という動きがあり、僕も署名集めに走りました。ところが条例案はあっさり否決されました。多くの県民が望んでいながらなぜ否決されたのか、いまだに理解できません。
あのとき、選挙は当たり前に与えられるものじゃないということを、生まれて初めて実感しました。
自分たちの命や暮らしにかかわる問題は自分たちで考えて決めたいという、ささやかな願いが通らない、この国の民主主義がいかに未熟かと痛感しました。
投票券は、成人誰もに与えられた政治への参加チケットです。
未熟な民主主義とはいえ、今僕たちが政治に参加できる唯一かつ最善の方法、それがこのチケット一枚です。
投票に行っても、思ったとおりの社会にはならないかもしれません。
でもみんなが投票に行けば、悪い社会にはならないと思うのです。
これには自信があります。
人にはそれぞれ考え方があるし、多様なほど自然だと思います。
多様な考え方の人がみんなで投票すると、結果的に多様でめんどうくさい社会ができます。
一部の偏った考え方の人たちだけが投票すると、シンプルで偏った社会になります。
どちらが民主主義的かというと、めんどうくさい社会のほうです。
面倒くさい社会は、何かを決めることに時間がかかるかもしれませんが、みんながお互いのことを思いやれないと動かない社会なので、悪いことにはだけはなりっこない社会だと思うのです。
今のこのなんとなく不安で、先の見えない社会において、個別的な解決方法なんてなくても、まずはみんなで投票に行くことが、悪い社会だけは食い止める最強の方法だと信じています。
今問われているのは、原発再稼動やTPP、秘密保護法、集団的自衛権という、個別の問題よりも、この国の民主主義です。
民主主義が未熟なばかりに、権力者はそれを利用しようとします。
事実、利用する余地がまだあるわけで。
悪い社会にしないために、簡単です。
投票率を限りなく100パーセントに近づけてみませんか。
お友達も誘って。

子供のころ、日曜日のたびに父親が観る政治討論番組が嫌いでした。
政治の話をするときの両親も好きじゃなかった。
だけれど、選挙はなんだか好きでした。
選挙の日は、家族みんなで投票所まで歩きました。
同じように家族そろって出かけた近所や同級生とすれ違います。
どこか旅行にでかけるのと違い、近所を家族で歩くというのは、少しだけ特別な感じがしました。
投票はできないけれど、投票が終わった後は、ついでに近所のスーパーに足を伸ばしたりして。
投票に行くときや、帰ってくるときの親は、なんとなく面白そうでした。
自分が住む社会や、僕たち子供の未来を思い、誰もが前向きな雰囲気。
だから、子供ながらに、選挙っていいなーって思ったんだと思います。
お酒が飲めたり、祭りに参加できるようになるのと同じで、わくわくして投票所に行く大人の姿を見せると、子供はきっと投票に行く大人になるような気がします。
ぜひ、家族で選挙に行きましょう。

戦後最低の投票率で、衆院選が終わりそうです。
「笑顔のたくさんの世界に!」
お米と手紙を送った小学5年生の女の子からの手紙の最後の一文です。
この子だけじゃなく、クラスのみんなから、種まきを手伝ってくれた先生の子供からも、たくさんのお便りをいただいて、僕はずっと考えてきました。どうやれば笑顔がたくさんの世界になるかということを。
今回の選挙の争点は、いろいろあったかもしれませんが、報道を見る限りでは「景気対策」が大きかった。これは別に今回に限ったことではありません。僕にはどうも、この子がいう「笑顔」と「景気」が同じとは思えませんでした。いつから日本人は景気が大好きになったのか、そしていつまでそのような「雰囲気」が社会を支えると思っているのか、単純に疑問を感じています。
そして今確認したいのは、実際に暮らしを変えていくのは政治ではなく、僕たち自身です。自分たちの暮らしのあり方は、議員に委託するのではなく、思い思いに手作りし実現していくことが、自分たちの大切な人たちに影響を及ぼし、変えていく力になると思っています。
投票にちゃんと行くという行為は、自分たちの暮らしのあり方のひとつに過ぎません。
現在の日本は、暮らしのあり方を他者に委託する風潮が強いと感じています。その表れが「自炊」「自給」「自伐(自ら林業をすること)」「自作(自ら耕すこと)」という言葉。どうして自分で料理することに言葉が生まれるのか、自分で生きることに言葉が生まれるのか不思議です。
今の大人の世界は当たり前が当たり前じゃなくなっているのだなと。
だから、笑顔が少なくなるんじゃないかと思います。
限りなく100パーセントに近い大人が投票すれば、それだけで理想的な民主主義の社会になります。
同時に大切なのは、有権者一人ひとりが、理想の社会、笑顔のたくさんの社会を想像し、手作りしようとする意識です。
だって、笑顔は他人任せで作れるものではないから。
経済でも、福祉でもなく、身近な大人それぞれの「幸せを作る」姿勢が問われているのではないかと思います。
そのことがまた、政治を変える力になると思っています。
2016-07-09 04:49 : 思索ノート : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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プロフィール

鴫谷幸彦

Author:鴫谷幸彦
青年海外協力隊、農業系出版社など経て、新潟県上越市吉川区の山村に移住。2年間の研修ののち2014年春に就農しました。

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