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されど大学①

妻の玉ちゃんは、いわゆる高学歴のほうではないかと思う。
大学院にも行ったけれど、学部時代から学費は奨学金だけで賄ったというから、えらいと思う。
少なくとも、馬乗りで忙しくろくに授業に出ていなかった僕と比べると、うんとえらいなー。
彼女は今でも奨学金の返済をしている。

小さな農家の嫁になったことで、収入がうんと減り、村の農産加工所からもらえる薄給を返済に充てている。
「奨学金が返せるだけの現金収入があるなんて、加工所はありがたい!」
と本人は実に前向きだ。

そんな彼女は学部時代、ドイツに単身留学をしている。
大学院ではベトナムに滞在して文化人類学の研究をした。
僕と違って(もはや僕と比べるのは切なすぎるので、やめます)、ちゃんと勉強した!という大学生だったのだろう。

その彼女いわく、大学とは
「好きなだけ勉強をするところ」
働かずに、読みたいだけ本に当たり、好きなだけ研究に没頭し、とことん議論する。
人生において、そんな身分は学生の時だけ。学生時代に好きな勉強をしないともったいない!というのだ。

そんなこと、あまりちゃんと考えてこなかったけれど、今猛烈に思うのは、もっと勉強しときゃよかった。
もっと本を読んどきゃよかった。
だって、農家になってしまったら、農作業で忙しくて、疲れてスコーンと寝る日々。
なかなか本が読めない。知りたいことを書物から吸収できない。
年もとったしね。
興味の網をどんどん広げながら、研究というフィールドをぐいぐい開拓していく楽しみは、こりゃどうやったって、怖いもの知らず、興味の塊だった若かりし頃が強い。

なんか勘違いしている人が多いので、ここらで言い切ってみる。
大学というところは、就職のために行くところではないはずだ。
就職のために行くなら専門学校がある。
最近は就職に有利なように資格を取らせてくれる大学が人気だとか。
それは、大学が専門学校か就職準備校になるということ。
思う存分勉強し、研究し、議論をぶちかますところではなくなること。

また、産学連携を叫ばれて久しいが、企業にとってお金になる研究だけがもてはやされるということは、企業に役に立つ人間を育てることと同じく、とても寂しいことだ。
大学は、若者が自由な発想で研究に取り組み、社会に新しい価値を付加していく役割があると思う。
今ブームになっている研究だけをしていれば、可能性は広がるはずもなく、社会の価値は狭く、先細っていく。
そのことで、結局は企業も国も自分たちの首を絞めることにはならないか。

学生は学生らしく、発想豊かに好きな研究に没頭できる環境を整備する、それこそ国や企業がすべきことのように思う。

ちなみに僕は、「馬もいいが、なんでもいいからちゃんと研究しろ」と教官に言われ、それもそうだと心入れ替えいちおう研究もした。
言われてやってみた研究とはいえ、田んぼで稲を不耕起で育てた場合、紋枯れ病というやっかいな病気が減ることを突き止めた。
これは今でも役立っているし、不耕起稲作という、特殊な栽培方法のメリットの一つがちゃんと研究結果として世に残ったわけで、社会の価値を一つ残せたわけで、すごーーーく、面白かったし、やってよかったと思っている。

今の若い世代は効率的に生きるすべに長けているように思う。
この参考書、この予備校、この大学、この企業。
効率的に勝ち組になる方法をみんなが知っている。
みんなが同じ方を見て、同じ手法をとる、若者の可能性って、そんな矮小化されていいものだろうか。
そんなありきたりの、つまらない生き方でいいもんだろうか。

馬に乗りながら考えてもいい。
とことん興味ある研究に挑戦してもいい。
外国に飛び出てもいい。
農村を働きながら旅したっていい。
進路の選択肢を広げ、自分にしかできない人生を歩むためには、非効率的な寄り道、回り道がうんと大切だ。
たくさんの輝く価値観を、体いっぱい感じながら歩んでみてほしい。
みんな人生をかけて自分になっていく。
そのためなら、大学なんかじゃなくてもいいのかもしれない。

若者よ!
しつこいだろうけれど、おじさんは繰り返し言うぞ。
いいか!
就職を考えて大学を選んじゃだめだ。
好きなことを、とことん追求できるかどうか、その視点と嗅覚を大事にしてくれ。
社会のためにとはいいません。
どうぞ自分のために。
(続く)
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2017-08-18 03:32 : モノモウス : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

たかが大学②

「大学出て、そんなことも知らんのか」
というのは、この村で暮らすようになって、僕に対するお決まりのツッコミ。
鉈(なた)の使い方とか、ロープの結び方とか、味噌を袋に詰める時とか、ちょっともたつくとすぐ突っ込まれる。
何十年も百姓をやっている先輩方から見ると、僕の体の動かし方はかなり滑稽なんだろうなー。
「おまん、違うわね! 貸してみない」
と言って、見せてくれる先輩方の動きは、実にダイナミックで無駄がなく、美しい。
だいたい手がでかい。
ぐわっと、ぶわっと、仕事をする手だ。
これにはかなうはずがない。
仕事っていうのはこうやってやるのかということを、40歳にして知り、棒立ちになる僕。

農家になってみて、思うのだけれど、農家の能力ってすごい。
手仕事はもちろん、機械を使わせても使いこなし方が半端ない。
農作物と機械の距離感や機械とすぐ後ろの絶壁との距離感。
作物の育ち方をとらえる時の感覚。
空間と時間の把握能力が半端なくすごいのだ。
パソコンが上手に使えるわけではないえけれど、この人たちのこのセンスなら、どんな仕事でもやりこなせただろうなと思えます。

加工所で仕事をしていても、わずかなアルバイト料しか出ないのに、時間いっぱい、文句一つ言わず、全力で軽快に動き回る母ちゃんたちにも頭が下がる。
昔、進学なんてめったにできなかった時代に、家の農作業を手伝ってきた彼らが、なんの苦労も心配もなく大学を出た僕より優れていることは当然かもしれない。

そう考えると、大学に行くって、大したことではないように思えてくる。
大したことがあるとしたら、それだけの授業料を払ってくれた両親だ。
僕は馬に乗って、調子にのっていただけなのだから。

農家になるなら、各県に農業大学校というものがある。
かつては農家の子弟が通ったものだが、最近は僕のように非農家出身で、農業を学び、農業法人に就職したり、独立自営農家になったりするパターンが増えているとか。
ほかに農業の専門学校だってある。
大学じゃなくて、それらの選択肢を、高校時代の僕は持っていなかった。

僕はずっと「普通の進路を踏み外したい」という願望を抱いていました。
小学生の頃から憧れていた、広島の祖父のように、小さな山と小さな畑に向き合う暮らし。
どうやったらそうなれるのか答えは出なかったけれど、普通の進路を行ってもたどり着かないことだけは気が付いていました。
そこで、少しずつ、自分を普通の進路からずらしてみたらどうなるか?実験をしてみたのです。

大学→馬術部→留年→休学→農家に住み込み→一応卒業→大学の農場で臨時職員→青年海外協力隊でアフリカへ。

ここまで来ると、結構踏み外した感じが出てきました。
すでに大学の同期はほとんど就職を決めていました。
踏み外してみて初めてわかったこと。「別になんともないじゃん」
なんともないどころか、踏み外した先には、それなりに似た人間が実に楽しそうに人生を送っていました。
青年海外協力隊で出会った仲間です。

帰国後はふらふらしたり、災害ボランティアに参加したり、農業アルバイトをしたり。
そしてふらりと普通の進路に戻り、会社に入り6年間、まじめに働いてみました。
結構根を詰めて仕事をしました。
踏み外した振り戻しのように、モーレツ仕事人間になりました。

そして3.11。
節電で暗くなった東京を歩きながら、本当の自分の人生ってこれだろうかと思った時、僕はまた普通の進路から踏み外すことを選びました。
ちゃんちゃん。

「大学くらい行かなきゃ」
そんな大人のつまらないアドバイスなんて、役に立たない。
だって自分の人生は自分が決めるしかないのだから。
進路の選択肢は、じつはたくさんあるのだ。
どれも魅力的で、どの世界もすばらしい。そこにはどうやったってかなわない先輩たちが誇りを持って暮らしている。
そのことに気が付けば、人生なんて、いくらでも踏み外せる。
踏み外した者勝ちだ。

高校生諸君。
参考書とにらめっこするのも結構だけれど、人生、大いに踏み外したまえ。
踏み外しきれないほどの、無数の、かっこいい世界があるんだよ。
(つづく)
2017-08-09 01:10 : モノモウス : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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プロフィール

鴫谷幸彦

Author:鴫谷幸彦
青年海外協力隊、農業系出版社など経て、新潟県上越市吉川区の山村に移住。2年間の研修ののち2014年春に就農しました。

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